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遠野むかしばなし

遠野に伝わる「むかしばなし」を、語り部の声でお聴きいただけます。お聴きになりたい昔話の再生ボタンをクリックしてください。(※再生ソフトについて

語り部の紹介
正部家ミヤさん写真
(しょうぶけ)
正部家ミヤ さん
遠野市綾織町にて5人姉妹の次女として生まれる。 幼少の頃から父親の昔話を聞いて育ち、今では200話以上の昔話を語ることができる。
遠野を代表する語り部の第一人者として、遠野のみならず全国各地を飛び回って活躍中。
                

おしらさま

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【あらすじ】
 昔、あるところに、父と母と美しい娘がいた。この家には、立派な男の馬がいた。ある時、年頃になった娘が馬と夫婦になりたいと、言い出した。父は驚いた。父は怒って、馬を桑の木につるして鉈や鎌で馬の皮を剥ぎはじめた。娘はそれを見て泣き続けて詫びた。
 ところが、皮を剥ぎ終わるころ、馬の皮が飛んできて娘を抱きかかえたまま天へ上って行った。それを見ていた母は泣き出し、父と母は毎日毎晩泣き明かした。
 ある晩のこと、娘が夢枕に立ち言った。「来年の3月14日の朝、土間の臼の中を見てください」と。待ちに待った3月14日が来た。土間の臼の中をのぞいたところ、娘の言うとおり、面の長い馬の頭のような虫がたくさんいた。その虫に馬をつるした桑の木の葉っぱを食べさせて育て、真っ白な繭から糸をとり機織して暮らしを立てた。父と母が馬をつるした桑の木で娘の面と馬の頭を作って祀ったのが「おしらさま」だという。
【解説】
 オシラサマは、家の神として旧家に崇められてきた。養蚕の神としての由来譚をもつが、遠野では目の神として信仰され、時には農業手伝神、狩の神、お知らせの神などとして語られる事がある。神像は、馬頭(男神)娘頭と(姫神)からの複数体からなり、古くは巫女婆様と娘たちによってオシラ遊びが行われた。祭り方や祭日は家毎に異なり、年に2〜3回行われ、小正月などに衣替えが行われる。貫頭衣と包頭衣の像の他に掛軸の画像もある。また、よく似た屋内の神にオクナイサマがあり、祭り方や性格も共通するものがある。

河童淵

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【あらすじ】
 昔、土淵に新家という家があり、その近くに淵があった。淵には、いたずら河童がいることから、皆近づかなかった。
 ある大変暑い日に、若者が馬屋から馬を出し、その淵へ連れて行き、馬に水をかけて体を冷やしていた。ところが、若者がいっとき陸に上がったすきに、馬が何ものかに引っ張られてしまい、その馬は驚いて陸に上がり馬屋へ走り込んだ。
 馬が騒がしいので家人が馬屋に行って見ると、馬のヤダ舟がひっくり返されていた。舟の下には小さな手のようなものが見える。舟を起こしてみると、女童子のような河童だ。新家の旦那が尋ねた。「お前は何しにここへ来た」と。「実は、おれ、あの淵の河童です。うまそうな馬を食べようと淵へ引っ張りこもうとしたが、馬の力が強くて引っ張られて来ました。今後は、このようないたずらをしないので許してください」と、手を合わせて頼んだ。
 かわいそうに思った新家の旦那は、河童へよくよく言って聞かせ、淵へ放してやったという。
【解説】
 もとより想像上の水性生物だが、実際に「河童を見た」と主張する人が歴史的かつ全国的にあり、出版物も多い。遠野でも河童淵と名のつく淵は各町に散在し十指を下らない。よく語られる話に、「実際に見たという話」「河童駒引きの話」「河童と婚姻した話」「河童から傷薬や骨接ぎを教わった話」や「河童の恩返し」などがある。
 遠野の河童は顔が赤いと言われることから、猿と河童、ザシキワラシになった河童など話題性に富む。

座敷童子

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【あらすじ】
 昔、土淵の孫左衛門という家に、座敷童子が住んでいるというが誰も見たことがない。
 ある時、近くの爺さまが、用事をすまして帰る途中に、向こうの橋の辺りから女童子2人が歩いてきた。今まで見たこともない女童子なので声をかけた。「お前たちはどこから来た」と。「おらぁ孫左衛門の家から来ました」と言った。その時、その爺さまは、(孫左衛門の家の繁栄は、あまり長い事はないだろうと)思った。
 その後、孫左衛門の家に不思議なことが起きた。ある時、若い衆が孫左衛門の言うことを聞かないで、干草の中にいる大蛇を殺したところ、次から次へと蛇が出てきてしまい裏の畑に蛇塚をつくった。また、孫左衛門の庭にある梨の木の根元に大変おいしそうなきのこが生えたという。その時も、若い衆は孫左衛門の言うことも聞かないで、きのこ汁を作って食べたところ全員が死んでしまった。主の孫左衛門が死ぬと、親類、縁者が寄って財産を持ち去った。
 ただ1人、7歳になった女童子が隣へ遊びに出かけて生き残ったが、その後、その女童子も死んで孫左衛門の家には誰も居なくなったという。
【解説】
 多くは豪家の座敷や蔵に住まいし、目には見えない家の神として昔は畏敬されてきた。
 しかし、今では家の神と区別し、妖怪や精霊の中で論じる研究者もある。『遠野物語』では、ザシキワラシがいる間は富貴自在だが、他人に姿が見えるようになると、その家は忽ち衰退し、幸運は他家に移ると語られる。佐々木喜善は、似て非なるものとして、オシラサマ、オクナイサマ、枕返し、若葉の魂、念仏童子、他民族の屋内怪物などをあげる。
 なお、宮沢賢治の『座敷童子(ザシキボッコ)の話』など、伝承は岩手県内外に及ぶ。

朝日長者、夕日長者

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【あらすじ】
 昔、あったずもな。
 綾織の砂子沢の入り口に、朝日さまの入るところに大きな長者殿の屋敷があった。我が家からハセ(稲掛)を掛けすれば大街道まで続き、町の用足しにも他人の土地を通らなくても行けるほどの土地をもっていた。
 その長者殿の屋敷には「座敷童子がいる、座敷童子がいる」と言う話を聞いていたが、誰も見た人がいない。
 ある年の夏に、若者が馬に喰わせる朝草刈に行った。早朝、露草を刈っているとゾクゾクゾクーと寒気がした。風邪をひいたかと思い顔を上げた。
 すると、長者殿の屋敷の方から見たこともない女童子が歩いて来た。童子は真ん中ころにある川を、橋が架かっていないのにチョコ、チョコと渡って行った。それを見た若者は不思議に思った。
 立ち上がってよく見ようしたが金縛りにあったように身動きができなかった。その子供はチョコ、チョコと歩いて、ちょうど夕日の入る辺の潰れそうな百姓家に入った。若者は、金縛りがとけたので家に帰り、そのことは誰にも言わなかった。
 それから、その長者殿の家に不思議なことが次々と起きた。旦那殿が山仕事をしていると、木の下敷きになり死亡した。女房が長く病気になった。田や畑の作物も取れなくなった。さすがの長者殿のハセも一間減り、二間減り、全ての土地も無くした。
 それとは反対に女童子が入った百姓家では、みんな健康で働き次第に裕福になっていった。そこで、近所の人たちが「夕日長者殿、夕日長者殿」と言うようになったと。
 どんどはれ。

豆腐とこんにゃく(仲悪かった)

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【あらすじ】
 昔、あったずもな。
 今、現在では、豆腐とこんにゃくは仲良く豆腐屋の棚に並んで暮らしているが、昔はとっても仲が悪かった。
 ある時、豆腐は塩梅わるいので「どうしたらいいかなあ、医者にかかったらいいかなあ、薬屋に行って薬買ったらいいかなあ」と思って出かけた。
 すると、運わるく街角でこんにゃくと出会った。こんにゃくが言った。「やあ、やあ、豆腐殿、豆腐殿、どうしたの」と。
 豆腐が答えた。「このごろ、とっても塩梅わるいんだ。これから医者か、薬屋に行ってみようと思って出て来た」と。
 こんにゃくが大声で笑って言った。「豆腐殿、今さら医者にかかったり、薬を飲んだりしても、元の豆には戻れないんだ。そんな無駄なことはやめた方がいいんだ」と。なぜ、そんなことを言うのかと、豆腐は悔しく思った。
 その後、豆腐は元気になったので買い物に行った。反対方向から元気のないこんにゃくがやって来た。「やあ、やあ、こんにゃく殿、こんにゃく殿、どうしたの」と。
 こんにゃくが言った。「このごろ、とっても塩梅わるいんだ。神参りか、お寺参りでもすれば少しでも良くなるかと思って出て来た。」と。
 思い出した豆腐が笑って言った。「こんにゃく殿、お前の身体は灰で固めた身体だ、今さら神参り、お寺参りしても、元には治りはしないんだ、そんな無駄なことはやめた方がいいんだ」と。
 今度はこんにゃくが怒ったが、考えた。「豆腐殿、豆腐殿、おれもお前も同じような身の上だ、これからは喧嘩しないで仲良くしよう」と。
 それからは、今のように豆腐屋の棚に仲良く並ぶようになったと。
 どんどはれ。

豆腐とこんにゃく(仲良かった)

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【あらすじ】
 あるところに、豆腐とこんにゃくが隣どうしに暮らしていた。
 ある日、豆腐は棚から落ちて大怪我をしてしまった。それを聞いたこんにゃくは、豆腐の家に見舞いに行った。
 豆腐に具合はどうかと尋ねると、見ての通り身体がすっかり崩れてしまった、それに比べてこんにゃくは落ちても崩れないから羨ましいと言った。
 それを聞いたこんにゃくは、私の方がまったく生きた心地がしない、「今夜食う」が、「こんにゃくう」に聞こえるから、言われる度に今日までの命かと、今夜食われてしまうのかと思って生きた心地がしないのだと答えたのだった。
【解説】
 こんにゃくの歩く様子の方言の面白さに特徴があり、豆腐とこんにゃくが主人公というユーモラスな設定から遠野では小さい子どもに人気のある昔話です。
 豆腐とこんにゃくは、煮しめや汁物など冠婚葬祭や年中行事の郷土料理に欠かせない食材です。
 この昔話から遠野の人々の豆腐とこんにゃくに対する親しみ深さがうかがわれます。

貧乏神と福の神(一人神)

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【あらすじ】
 あるところに貧乏で怠け者の男がいて、働き者の嫁をもらってきた。
 ある日、嫁が神棚を掃除していると、生き物のような黒いものがいた。嫁が「どなたですか」と尋ねると、「長い間この家にいる貧乏神だ」と答えた。
 貧乏神は、「嫁が家中を掃除してとても住みにくくなってしまったから、この家を出ていくところだ」と言った。
 嫁は、「今までこの家にいたのだから、気にせずこのままいてこの家を守ってください」と言うと、貧乏神を再び神棚にあげたのだった。
 数日後、神棚を掃除しようと見てみると、そこに光り輝く神様があった。嫁は「どなたですか」と尋ねたが返事がなかったので、「ここにいらした貧乏神はどうなったのですか」と尋ねた。
 すると神様は、「私が貧乏神だ」と答えた。続けて、「あなたが来てからというもの、貧乏神としてここに居ることに気が引けてしまったので福の神に姿を替えた、これからも長く面倒をみてほしい」と言った。
 その後、働き者の嫁と福の神がいることで、男を始め、家族皆がよく働くようになり、だんだんと裕福になっていったそうだ。

貧乏神と福の神(二人神)

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【あらすじ】
 あるとき、貧乏神と福の神が旅をしていた。
 暗くなってきた頃、福の神が「今夜の宿をどこにするか」と言った。貧乏神は、「自分たちの名前を呼んだ人の家に泊まれば良い」と答えた。
 その通りだと思い歩いていると、立派な門のある家があった。家の中からは騒がしい音が聞こえ、貧乏神と叫ぶ声がした。貧乏神は、「名前を呼ばれたからこの家に泊まる」とさっさと中へ入ってしまった。
 暗くなり寒くなっても福の神はどの家からも呼ばれなかった。すっかり疲れてしまい野宿になるかと思っていると、暗がりから笑い声が聞こえてきた。雨戸もなくムシロがかかっている家があり中に入ると、若い夫婦が話をしながら火にあたっていた。福の神は夫婦に「今晩泊めてほしい」というと、快く招き入れられた。
 旦那はたくさんの薪を用意し火を焚いて家を暖め、白湯を注いで福の神をもてなした。福の神は、冷えきった体も暖まり、気分がよくなりそのまま泊まったのだった。
 それからというもの、貧乏だった夫婦はだんだんと裕福になっていったそうだ。
【解説】
 貧しいけれども心の優しい人が貧乏神を大切にもてなすことで、福徳をもたらす神となるという昔話は全国に見られます。
 貧乏神は災厄と福徳をあわせもつ存在と考えられてきたようです。

極楽見てきた婆さま

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【あらすじ】
 昔、とても仲の良い親子がいた。
 息子は嫁をもらい、初めのうちは仲よく暮らしていたが婆さまが邪魔だと思うようになった嫁は、婆さまを追い出してほしいと夫に頼んだ。
 夫は、仕方がなく婆さまに極楽を見せると嘘をついて、3人で山奥の崖へ向かった。そして、崖の上まで来ると、嫁は下を覗きこんだ婆さまを後ろから突き落としてしまった。
 婆さまは転げ落ちながらも蔓を掴んで助かり、崖の上まで上ったが辺りは暗くなってしまって2人もいなかったので、そばにあった上社の中で休むことにした。
 しばらくすると、泥棒たちが料理を食べながら、盗んだ宝物を山分けしている音で目が覚めた。婆さまは、もっと見てみたいと思っているうちに障子ごと泥棒たちの中へ倒れてしまったが、泥棒たちは化け物が現れたと思い、逃げて行ってしまった。
 婆さまは残った料理を食べ宝物を担ぎ家に戻った。婆さまが極楽から帰ってきたと思い込んだ嫁は飛び上がって驚いたが、婆さまが担いできた宝物を見ると欲が出てしまった。
 次の日、嫌がる旦那をつれて再び崖の上へ向かい、2人で極楽を目指して飛び降りてしまった。
 その後、2人は戻ってこなかった。

ねずみの相撲っこ

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【あらすじ】
 昔あるところに、仲のいいおじいさんとおばあさんがいた。
 ある時、おじいさんが山へ入ったところ、長者の家に住む大きなねずみと、自分の家に住んでいる小さなねずみが相撲をとっていた。何度相撲をとっても勝つことができない小さなねずみを見て可哀そうに思ったおじいさんは、家に帰ると餅をこしらえてやった。
 次の日、小さなねずみは三回に一度は相手に勝つようになっていた。大きなねずみが強くなった理由を尋ねると、小さなねずみは家の人が餅を食べさせてくれた話をした。大きなねずみが大層羨ましがったので、小さなねずみは餅をご馳走すると約束した。
 会話を聞いたおじいさんは、家に帰ると2匹分の餅をこしらえた。さらにおばあさんは、相撲を取るときに必要だろうと赤いまわしを2本作り、餅と一緒にねずみの穴へ入れてやった。
 次の日、餅を食べた二匹のねずみは、互角に勝負をするまでになっていた。
 大きなねずみが餅と赤いまわしのお礼にたくさんのお金を家に届けるようになり、2人の暮らしは楽になったそうだ。
【解説】
 ねずみは、家の食物や農作物を食い荒らす迷惑な動物です。その反面、ねずみの存在は、家に食べ物がたくさんある豊かな証拠であるとして、むかしの人々は、ねずみを福の神と考えました。
 おじいさんとおばあさんがねずみのおかげで金持ちになっているのは、このような考えがもとになっています。

屁っぴり嫁ゴ

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【あらすじ】
 昔あるところに、仲のいい若夫婦がいた。
 そんな嫁がある頃から屁を我慢してとても顔色が悪くなった。心配した姑は、屁など我慢しなくてよいと言った。嫁は遠慮なく屁を出したがその勢いがすさまじく、姑は吹き飛ばされて腰を打ってしまった。仕事から帰った旦那は驚き、器量の良い嫁だがこれでは家においておけないと思い隣村へ帰すことにした。
 旦那と嫁が隣村に向かっていた道中、駄賃付けの男たちが柿の実を落とそうと木や石を投げつけていたところに通りかかった。その様子を面白く見ていたことに男たちが腹を立て、嫁に懸けを持ちかけた。嫁は自分の身柄を懸けて勝負をし、屁で見事柿の実を落とした。
 旦那はその様子をみて、屁だけが問題でそれ以外は完璧な嫁だと思い直し、嫁を連れて家に帰った。そして、嫁に好きなように「屁」ができる「小屋」を作ってあげた。
 それが今の「部屋(へや)」のはじまりであるという。
【解説】
 昔話の中で、屁の力で思わぬ幸運を手に入れる笑話を「屁ひり話」と言い、全国的に広く伝えられています。

頭の大っきな男

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【あらすじ】
 あるところにたいそう頭の大きな男がいた。
 男がこの大きな頭を散髪してくれる者がおらず困っていると聞いた男の友人は、何日もかけて散髪してやった。散髪中に誤って頭に傷をつけてしまったので、柿の種を傷にあてて止血をした。
 数日後、柿の種から芽が出できてしまい、柿の実がなるほど成長してしまった。男は実った柿を殿様に献上すると、褒美をたくさん貰って帰ってきた。
 頭の上に実った柿で褒美を貰うなどおかしいと大層腹を立てた柿屋に柿の木を切られた。すると、その切り株のそばからキノコが生え、キノコ屋に切り株が抜かれると池にして鯉を育て、頭の上で育ったものを殿様に献上するたびに、たくさんの褒美を貰ってくるのだった。
 鯉屋に池を埋められさら地になってしまったので、次は大根を植えてみるとたいそう大きくなった。周囲の人々が、そんなに大きい大根ならば葉もさぞ大きいだろうと尋ねると、その大根に葉はつかなかったそうだ。
 これが本当の「葉無し(話し)」だそうだ。

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